豊かな自然が育んだ「郡上クラシックポーク」

株式会社郡上明宝牧場

郡上クラシックポークの誕生

第二章 不安

さて、今回会社を創る事はどんな意味か、今の会社とは「食」を「食卓」に届ける最終目的は同じであっても、生き物を飼うという全く違う組織・会社を作らなければ有りません。会長に「迷惑かけない」と、約束した以上、当たり前ですが全てを私自身が責任をとる!そんな強い気持ちが無い事には成功しません。全てがゼロからのスタート、銀行との借り入れ交渉も私自身で行い、事業計画も会計事務所と昼夜問わず打ち合わせをし、資金繰り、事業計画を進めるうち、不安になる事が山ほど出てきましたが、その度に自分に「大丈夫だ!」と、奮い立たせ進めていきました。
そしてもう一つ心配な事が有り、私自身豚を生産した事が有りません。研修で、数ヶ月程茨城県の生産農家に行った事が有るだけです。その時のエピソードを書かせて頂きます。正直私には豚飼い(養豚事業)は無理だなと思いました。忘れもしない研修初日の朝、農場の方から「田中君、豚は綺麗好きって知っているか?」「はい」と答えると「餌鉢に豚がそそうしてある物を取り除いてくれ、君も汚れた茶碗で食べたくないだろ?」といわれました。「はいもちろん!」元気よく答え「すいません!ホウキやチリトリ、手袋はどこに有ります?」と尋ねると、農場の方から「はぁ?お前両手有るやろぅ?」とあきれ果てた顔で言われ背筋が凍る思いをしたのを思い出します。大分トーンダウンして「はぁ」と答えたのを今でも覚えています。豚房(柵)に入り豚に向かい「お前ら、なんでここにするの!」とほんと腹立たしく思いました。今したばかりでまだ湯気が出ている物を見て、「えい!と気合を入れても手が入りませんでした。おそらく10分くらい格闘していたと思います。ふと農場の端に使い古した餌袋が有るのを見つけました。「これだ!」それを農場の人に分からないように手に巻きました。幸い餌袋もベージュで、肌色に近く気が付かれる事なく作業を必死に進めました。必死にやったら、袋が擦り切れたのに気がつかず、指先がすりむけ自分の血で真っ赤になっていました。とにかく急いで済ませて「終わりました!」と報告すると先ほどと打って変わって「田中君、見ていたけど、焦って仕事しちゃダメだよ。一生懸命は分かるが、それに怪我するまで・・・」農場の人に言われました。ただ、その時農場の人は、素手で俺たちと同じ事を良くやった。それが、農場の人間だ!今日から仲間だ!みたいな感が伝わりました。遊びじゃない農場の仕事をしかも豚を飼う人の気持ちがこの時少し分かった瞬間です。その後手を良く洗ったのですが、翌日化膿してしまい、皮肉にも手袋作業が認められました。「街から来たやつは、弱いな」みたいな目をされた事を覚えています。